絆
以前に勤務していた病院でのことです。
Sさんという忘れられない患者さんとの思い出を書かせてください。
Sさんとの最初の出会いは透析室でした。数年前から腎臓の機能低下のため週3回の維持透析を受けておられ、その日も通常の透析中でしたが、突然胸痛が出現したとのことで、透析担当の先生から私へ往診依頼があったのです。
ベッドサイドに到着したときSさんの胸痛は持続しており、心電図でも狭心症発作を呈していました。Sさんは50代後半、筋肉質で、白髪のオールバック、いわゆる目力の強いタイプで、一見コワモテの感じでした。
そこで、最初の会話となったのですが、
“胸、苦しいですか?”との問いかけに、
“苦しかさ、見ればわかるやろ、医者やったらはよ、何とかせろ”
と、かなりぶっきらぼうな返答で、緊張感ただよう出会いでした。
幸い、その時は透析に伴う一過性血圧低下を補正したところ症状、心電図変化は治まり胸痛も改善しました。
しかし、当然狭心症発作が強く疑われ、そのまま循環器に入院となりました。入院後もSさんは病気のためか、もともとの性格のためか、話しかけてもほとんど会話らしい会話はなく、私の質問には本人でなく奥様が答える状況でした。嫌われたのかもと、なかばあきらめ気味で診療を続けていきました。
翌日、心臓の血管造影検査を行ったところ、心臓の後面を栄養する血管の付け根に強い狭窄を認め、同部が狭心症の責任病変と考えられました。そのうえ、冠動脈は強い石灰化といって動脈硬化組織が石のように硬くなっており、通常の狭いところを風船で拡張するカテーテル治療は困難な状況でした。
その夜、Sさん本人と、ご家族に検査結果および治療方針についての説明行いました。同席された息子さんは、医学部の学生さんでした。
フィルムで病変説明し治療として、心臓外科でのバイパス手術か我々内科でのカテーテル治療が必要であるものの、全身の血管の動脈硬化強く、心肺補助装置の大動脈への挿入も困難でどちらにしても危険をともなうこと、特にカテーテル治療の場合、通常の治療では困難であるためドリルで石灰化を削る治療必要で、病変部の血管の屈曲や、強い石灰化により、血管損傷など危険高くかなり難易度の高い治療になることをお話ししました。複雑な内容ですので、説明に一時間以上かけ、しっかりと話しをさせていただきました。説明後、Sさんから一言だけ、“おいは難しかことはようわからん、先生はどう思う?”と聞かれたので、“バイパスにしてもカテーテルにしても危険を伴う治療になります。一長一短あり、決めるのは患者さんとご家族です。命をお預かりすることになります。どちらの治療を選択されても、覚悟を持って全力で治療させていただきます。”と答えました。
私の予想としては手術によるバイパス治療を希望されるのではないかと思い、実際息子さんからも“思いきって手術してもらおうか?”と尋ねられたのですが、Sさんの返事は、 “片山先生に治療ば頼む。先生のカテーテルで何とかしてくれんね。”という意外な一言でした。
最終的にご家族も本人の意向に従うとのことで、私個人としては危険も大きく、正直なところ不安もあるカテーテル治療を三日後に行う方針となりました。
治療までの三日間も相変わらずSさんは無口でぶっきらぼうで、病室でも会話が弾むことはありませんでしたが、幸い発作は認めず表情も心なしか穏やかでした。
いよいよ治療当日、予想していた通り困難な治療で、特にドリルで削って狭窄を広げる治療の直後に削り取った組織が末梢の血流を阻害し、一時的に血流の途絶する状況となりました。一過性の心筋梗塞同様の状態となり、当然、激しい胸痛を伴います。末梢血管を広げる薬などで治療しながら、“Sさん、大丈夫ですか?”との私の問いかけに、Sさんは顔面蒼白で、冷汗を浮かべながら、“大丈夫、、、先生、、、まかせとるけん、、、”と答えてくれました。数分後、薬や吸引治療で何とか血流も回復し、最終的には狭窄拡張でき、治療は成功することができました。
その後、退院までの二日間も、Sさんは相変わらず無口でした。退院の前日の朝、“Sさん、なんで手術じゃなくてカテーテル治療にしたんですか?”と、ちょっと期待をこめて尋ねてみたのですが、返ってきた来た一言は、“はよう、退院したかったけんさ。手術したらなごうなるとやろう”と、やはりぶっきらぼうにひとことのみでした。ただ、退院当日は“先生、ありがとう、また診察にくるけん”と、早口で普段声の大きいSさんにしては珍しいほどの小声でしたが、お礼を言ってくれました。
別れもまた、突然でした。退院後、透析中の発作もなくなり、順調に経過していたのですが、3か月後、脳卒中発作をおこされ意識不明の状態で当院内科に緊急再入院され、意識を取り戻すことなく、あっという間に翌日永眠されました。
霊安室に最後のご挨拶に伺った際に、ご家族から話しかけていただきました。
奥様からは、“あの人は、先生に本当に感謝してました。よか先生にめぐりおうて運のよかったって、しょっちゅう言うとりました。実は、カテーテル治療の前の日に私に言い残したんです。もし、治療の途中でなんかあっても、寿命やからな。先生はようしてくれとる。文句言うなよって、、、。”
横で聞いていた医学部の息子さんも、目を潤ませながら、“親父は無口で、僕の将来のことなんかも口出ししたことなかったんですが、あの治療後にひとことだけ、言ってくれました。おまえも患者が殺されても本望って思えるごたる医者にならんばなって、、、”
私は目の奥が熱くなり、顔を上げることができませんでした。
あれから数年が過ぎ、いまだに、Sさんが何を持って私のことを評価、信頼してくれたかはわかりません。ただ、天国のSさんから見込み違いやったと思われないように、いつの日かどこかで褒めてもらえるように、医師として精進していきたいと思います。