“患者さんが背負っているもの”
この話しも以前の病院での患者さんとの関わりの中で経験したことです。
“俺は別にこの病院に来たくて来たわけじゃなかと。”
初対面のときからMさんは“かたくな”でした。Mさんは屋外での仕事のせいか、日焼けのめだつ60代後半の男性でした。
病院の近くの定食屋さんで食事中、急激な胸痛がおこり、本人は“絶対いやだ”と拒否したらしいのですが店の人が見かねて救急車を呼び緊急搬送となりました。
胸痛は続いており、心電図で急性心筋梗塞であることがわかり、僕が担当させてもらうことになりました。一刻も早く緊急の血管造影やカテーテル治療が必要なこと、当然当分入院が必要なこと、家族にも病状説明と同意を要することなどを話しましたが、
“俺は家族はおらん。天涯孤独や。病気はどうせ治らんし、治せんやろうから治療もいらん。家に帰らしてくれ。ほっといてくれたらいいから、痛み止めだけ打ってくれ。”
痛みで顔をしかめたまま、Mさんはうめくように、ただ、断固として言い放ちました。
正直な気持ち、“厄介な患者さんにあたってしまった。”と、後ろ向きな気分になりながら、看護師さんにも手伝ってもらって、どうにか説得し、検査、治療をおこなうことになりました。
検査前の診察時に隠すようにしていた腹部に大きな手術痕が二つあったので、なんの手術か尋ねると、
“10年前に盲腸で手術受けたときに、腹膜炎とかで、その後2回腹開けられて、半年以上入院したとさ。その時に腎臓も悪うなって一つとられた。くわしか説明もなんもなしで死にかかったとよ。病院も医者も信じられん。”
そのときの治療は他院であり、詳しい経緯は不明でしたが、本人が納得しておらず、いわゆる医療不信となっておられるようでした。
ともあれ通常通り緊急のカテーテル検査と治療を行い、約1時間の治療で問題なく成功し、血管造影室を退室するときには胸痛も消失していたようで、
“うまくいったごたっね。珍しかこともあるもんやね。”
などと憎まれ口をたたきながら、集中治療室に入院となりました。
その後、病状、術後経過としては順調だったのですが、看護師さんが採血や点滴を失敗したときは二日間口をきかなくなったり、同室の人ともめて自主退院しそうになったり、食事が気に入らないと絶食してみたり、たばこを買ってこいとスタッフに命令したり、いろんなエピソードを次々に作られました。
Mさんは、最初にご自身でおっしゃられたように、奥様や子供さんはおられず、血縁のかたも遠縁の人が関西におられるぐらいで、結局お見舞いのかたはお出でになりませんでした。
2週間後、ようやく退院が決まった時には病棟中にほっとした雰囲気がひろがりました。
いよいよ退院当日、手続きをすませ、スーツにネクタイという正装に身を包んだMさんが通常スタッフ以外立ち入り禁止のナースステーションにつかつかと止める間もなく入ってきました。そのまままっすぐ仕事をしていた僕の前に立ち、一瞬ナースステーション中に緊張が走りました。直後に直立のまま、深々とお辞儀をしたかとおもうと、
“先生、看護師さん方、お世話になりました。ありがとうございました。迷惑かけてすいませんでした。”
あまりに意外な彼の言動に僕は固まってしまいましたが、一拍おいてようやく、
“Mさん退院おめでとうございます。よかったですね。”と、声をかけました。
顔を上げたMさんの目からは涙がこぼれていました。
“先生、俺はこんげん人からようしてもらったことはなかった。もっとはよう、きちんとお礼ば言って、態度もちゃんとせんばいかんことはわかっとったとけど、できんかった。許してください。”
いつのまにかMさんのまわりには看護師さんたちも取り囲んでいましたが、Mさんはその一人一人に深いお辞儀を繰り返していました。
師長さんが、微笑みながら、“今度検査入院の時には採血失敗しても怒らないでくださいね”
と言うと、
“何回でも刺してください。新人さんの練習につこうてください”
“俺はこげん人間やから、いつもうまくなじめんで、どこに行っても嫌われて、、、
ただ、ここにおる間は、今までで一番幸せやったかもしれません。
元気な体にしてもろうたから、今からは心も入れ替えてやりなおしてみます。“
涙をこぼしながら、そう言い残して退院されました。
病院というところは、不特定多数の患者さんが来られるところであり、患者さんたちは当然病気以外にもいろんなものを背負っておられます。医療スタッフである限り病気を治療する知識や技術が重要であることは当然のことですが、患者さんが背負っている病気以外の荷物を一つでも降ろす手伝いができれば、すごく幸せなことだということをMさんは僕たちスタッフに教えてくれました。