一つの事件
寒い季節になってきました。
気温が低いだけでなく、空気の乾燥で、のどがいがいがしたり、咳き込むことも多くなっています。暖房だけではさらに空気の乾燥を増すことにもなりますので、加湿器やマスクを併用したりして、健康に留意ください。
今回も知之医師に登場してもらいます。
なんと60年以上前の当時の長崎刑務所近くでのできごとです。
明日に迫った細菌学テストの勉強をしていた。夕方、いつもと違った道を散歩して小高い丘に出た。丘の上からは綺麗な夕焼け空が見えた。風は少し冷たいが、歩いてきた体には心地よく、たばこを取り出して吸っていた。目の下にはやや場違いな刑務所の建物があり、こちらにむいた2階の窓のどれにも鉄格子がはめられていた。
真向かいの窓が開いて、受刑者の1人が何か手真似で話し掛けている。手振りから察すると、(そのたばこを投げてくれ)と言っているようだ。(少し遠すぎて、投げてもそこまで届かないだろう)などと、こちらも同じく身振りで答えていた。すると他の窓が次々に開いて、それぞれがこちらに向かって手真似で話し掛けてくる。みんなさぞ退屈しているのだろうと思いながら、こちらからも適当に手真似で信号を送っていた。
夕焼け空も色褪せて、風も冷たくなってきたので、そろそろ丘を降りようと思っていた矢先に事件がおきた。格子に手をかけた受刑者達が、一斉に(急いで逃げろ!)と真剣な顔で合図を送ってくる。あるものは指で足元を指し、頭に二本の角を示し、1階の看守、役人が怒っているといったしぐさを送ってきた。
何のことだろうと思っていると、いきなり刑務所の大きなサイレンが鳴り響いた。ボヤか何かの騒ぎでもあったのかと、ゆっくり丘を降りてきた。と、制服警官様の2,3人が走り寄ってくるなり、両側から二の腕をがっしり捕まえて、 ピーピーっと笛を鳴らし、(いたぞー、捕まえたぞー!)と叫ぶとともに、すごい力で連行された。脱獄手引きに間違えられたのである。
この連中には何を言っても通じない。帰してくれそうもない。明日の試験が受けられない。その時、必死の思いで腹の底から(所長を呼べ!)と怒鳴った。別棟から来た所長は、小生の乱れた髪、ジャンパーの、身なりにもかかわらず、話がわかってくれた。しかし、あそこには、【立ち入り禁止の札があったはず。】と首を傾けていた。
翌日、丘の登り口にその表札は朽ちてなくなっていたことを確認した。喜びにはやる動悸を抑えて所長に告げに走った。所長は朝から朽ちていることを確かめていた。昨日の無礼を深く詫びたうえに、自分の公用車で下宿まで送ってくれた。昭和30年初冬のことであった。